Dragon Island

日々是修行。

「見たいものを描く」が僕をどんどん変えていく

こんにちは。
人生という長大なRPGをニューゲームでプレイしているKei Alexです。

長いので目次を用意しました。

あらまし

僕はこれまで絵に対して、「描きたいものを描く」というスタイルでやってきていたのですが、今年に入って「見たいものを描く」というスタイルに切り替えました。

これは僕にとって、長年かけて積み上げ確立した価値観を自分の手で土台から叩き壊し、まったく新しい価値観を構築していくことを意味していました。

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以来、約5カ月、僕の身に沢山の初体験が起きました。
そのほとんどが良い効果をもたらし、僕は自分の価値観がどんどん変わっていくのを感じています。

今日はそんなお話です。

「見る側」と「描く側」に立場を分けたら、打ち合わせみたいでやりやすい

「見たいものを描く」⋯⋯これを省略せずに言えば、自分が見たい絵を自分の手で描くということで、オタク用語で言うところの自家発電だと解釈しました。
さらに噛み砕いていけば、その実態は自分のことを一人の客に見立て、その要望に応えることなのではなかろうか?

そう解釈したとき、自分の中に「見る側」としての自分が現れました。
なお、主体としての僕は便宜上「描く側」と名付けます。

  • 「見る側」→普段、ひと様の作品を見るときの感覚や意識。
  • 「描く側」→普段、絵を描くときの感覚や意識。

僕はこれまで、「見る側」の意識は他人にしか向けたことがなく、自分に向けたのはこれが初めてのことでした。

「見る側」は、描く側のステータスを踏まえつつも、自分が見たいものをストレートにぶつけてきます。
「描く側」は、ハードな要望に対して各種の情報を確認して検討しバックします。
こうして二つの意識の間ですり合わせながら、詳細を詰めるようになりました。
また、こうしたやりとりは作業中にも頻繁に発生します

まるで仕事の打ち合わせのようですが、これが今の僕にはやりやすく感じています。

自分を他人に置き換えたら、長年の悩みが解決した

ひとりで絵を描いていると、ネガティブな感情が噴き出すことがあります。

例えば僕は、イラスト制作の息抜きに別のことをしようとしたら、「そんなことしてないで、描きかけの絵を1ストロークでも進めろよ!」と猛烈に自分を責め始めてしまいます。

ですが、つい最近、ふと「これが他人だったら僕は責めないよな?」と思ったんです。

それが、どうして自分に対しては責めてしまうのか、僕は明確な根拠を見つけられませんでした。
他のことにしてもそうです。
他人には大らかでいられるのに、自分にはできない。
これは理不尽極まりない話です。

それで、試しに「見る側」に立って、「描く側」のことを他人と同じように扱ってみたら、ほとんど自分を責めなくなり、肯定的に受け入れられるようになりました

僕を苦しめていたのはすべて、僕自身が生み出したマボロシだったのです。

なんと僕はこんな形で、長年の根深い悩みを対処できるようになってしまいました。

自分の中に疑似的な信頼関係の循環ができた

こんな風に、「見る側」が大らかな気持ちでいてくれるので、「描く側」も安心して過ごせるようになりました。
繰り返しますがどちらも自分なので、僕は今とてものん気に過ごしていることになります(笑)。

ここでもう一つ気づいたことがありました。

「見る側」は、描く側が自分の欲しいものを描いてくれると信じています。
「描く側」は、見る側が描き上げるまでのんびり待っていてくれると信じています。
「描く側」は、見る側が喜んでくれるので、少しでも良いものにしよう、やれることは全部やろう、と振る舞います。
「見る側」は、描く側が頑張ってくれているので、労おう、応援しようと振る舞います。

このことから、「もう少し自分のことを信じてもいいんだな⋯⋯あれ? 信じるって信頼関係の一番肝になるところだよな」と思いました。

自分の中にこの信頼の循環があるのは、生きていく上で最強の基盤を持っているということだと思いました。
この感覚が馴染んできたら、自己肯定感などにも影響がおよびそうな予感がします。

そうそう、誤解のないように書きますが、僕は自分を甘やかしているわけではありません。
不当だった部分を是正したのです。

終わりに

こんな感じで、僕はこの5カ月を過ごしました。
ここ数年で世の中も個人を尊重する流れが起きていますよね。
僕の変化にはその影響もあると思います。
また「歳を取って丸くなった」部分もあると思います。

最初は、絵を描くときの意識を変えただけだったはずなのに、いつの間にか自分への接し方にまで変化が起きました。
人生のうちに何度味わえるかわからない、貴重な経験をしていると思って、これからも注目していきます。

最後に、文章が散らかるのを少しでも防ぐために他人の存在についてはごっそり省いて書きましたが、自分だけいれば他人は要らないという意味ではありません
それはそれで、欠かすことのできないものです。

また、同様に、これはあくまで僕の価値観の話であって、みなさんへ同じものを求めているわけではありません。みなさんはみなさんです。

そういうわけで、これからものんびりお付き合いいただけたら嬉しいです。


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