絵を描くことについて心の作用に関する怖い体験をしました
こんにちは。
そろそろ年末年始の準備をしないとなあと考え始めているKei Alexです。
怖い体験をありのままに書きます
心の作用に関する、ちょっと怖い体験を書きます。
絵を描くことに関わる出来事です。
僕自身も信じられないような気持ちです。
時間が経つと自然に忘れてしまいそうなので、鮮明なうちに記録しておきます。
昔のことを踏襲しているせいで、事あるごとに当時の嫌な出来事と、それにまつわる感情が蘇っています。
厳密には当時の絵とは違っているはずですが、第一印象というか雰囲気は当時となんら変わっていないと感じているので、色々思い出して胃がキリキリと痛んでくるのです。(比喩でなく本当に痛い)
ところが、どこの時点からか僕はその大部分を忘れ去り、目の前の絵にスッと意識を集中して、ごく自然な調子で一切のストレスから解放されて描いていました。
これまでのお絵かき生活で、もっとも気持ちに余裕があると思うくらいにです。
まったく気づく気配もなく、きっと慣れたやり方で描いているからだろうと考えていました。
刺激は少ないけれど、それもしかたないことだろうなあなんて。
段々と自分の未熟な部分が浮かび上がってきて、それを踏まえ来年のスケジュールを考えないといかんなあなんて考えつつ、20枚を超えたところで、将来振り返ったときのため、ここまでのまとめ記事を書いておこうと取り掛かったところ、これが全く捗りません。
考えをまとめようとするのですが一向にまとまらず、また、書いているとなんとなく落ち着かない気分になってきます。
なにか落とし穴が潜んでいるような、見ないふりをしているものがあるような、重大な忘れ物がありそうな不安な気持ちです。
ともあれ書ける範囲で書いていこうと、何度も全消しと打ち込みを繰り返しているうちに、ハッと嫌な記憶が存在していたことを思い出しました。
と同時に、再び胃が痛み、心臓がドキドキと強く打ち始めました。
正直な感想として、ゾワッとしました。
急に景色が変わって現実が現れた心地でした。
ここで、無自覚に記憶を封印していたのだと気づきました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、まったく盛っていません。
ちょっとやそっとで忘れられるようなことではないのに、そのことだけがまるごと存在していなかったのです。
また、こうして記事を書きながら思い出したのですが、はてなフォトライフ(画像ストレージサービス)は見返しても、過去記事(特に10月分)は見返さなかったんですよ。
普段だけでなく、振り返りのまとめ記事を書こうというときにもです。
必ず確認しながら書くので、本当にありえない話です。
特に触りもしなかった10月の記事の中には、ほんの一言程度ですが学生時代を振り返りながら書いた箇所がありました。
また、その意識が強かった時期なので、避けていたのではないかと疑っています。
もしそうだとしたら、ますます怖い話です。
そして、僕はそれほどヤバいものを抱えていて、それほどヤバい状態にあったのかと思うと、自分が想像する以上に厄介なことをしているのかもしれず、ちょっと怖気づいてしまいました。
ここまで書いて、新たに頭痛が始まりましたし。
自分でもそんなに!?と思うんですけども、そんなだったようです。
考えてみれば、切っ掛けは高校時代でトドメは20代……ではありますが、それは、生まれてから育っていった感性が、育ち切って一番強烈だった時期でもあります。
ここまで来たのでなんとしてもやりますけども、言葉で表現できないものを感じています。
ネタにして和らげてシメる
最後に、怖すぎるのであえてネタにします。
片方を拘束している間にもう片方を倒さないと勝てないタイプのラスボスと戦っている心地です。
しかも、もしかしたら数段階変身するタイプかもしれません。
レベルは足りているか?
装備やスキルは持っているか?
アイテムは十分備えているか?
パーティーの構成はどうだ?
そんなことを心配する暇はもうありません。
幸い、絵に関しては戦いながらレベルアップしたりアイテムを補充できたりするので、戦いの中で成長するバトル漫画の主人公みたいな希望はあります。
こいつを倒したらエンドコンテンツというのも、希望のひとつです。
それと、対処法みたいなもので、弱音は積極的に吐いていこうと思います。
見苦しく感じられるかもしれませんが、すでに十分すぎるほど見苦しい姿を晒している気がしますし、今回ばかりはブログに頼らせてください。
ブログを始めるときに、良いことだけでなく悪いことも記録していこうと決めておいてよかったです。
緊張の反動で頭がぼーっとしてきたのでそろそろ締めます。
とりあえず、年を越す前に気づけてよかったです。